鍼療所開業当時の集客法①

鍼療所開業当時の集客法①

開業当時の苦労話はないですか、と質問がありました。私も当初はありましたよ。今から40数年前。まだYNSAじゃなくて体に打つ方の鍼をやっていたときのこと

藤沢に来たときは全くこの土地のことを知らなかった。人間関係もなかった。だから、人間関係をつくることから始めました。

何でも買い物は地元の商店街でしましたね。商店に顔を売っていく、ということをやりました。だって、患者さん来ないもの。開業してもね。

なんとか患者さん来ないかな、なんて考えていてね。それで、まず商店からあたったんです。

私は江戸っ子なんだけど、藤沢の商店街ってすごい田舎だったのね。そのギャップにまず驚いた。こんなので商売やれるの?ってくらいだった。

だいたい東京ってのは「生き馬の目の抜く」っていうくらい、すごいでしょ。これは、生きた馬の目を抜き取ってしまうほど、早いってことね。東京の人ってのは、早いんですよ。どっちかっていうと、私は語りも早口。江戸っ子は早食い早口なんですよ。そういう性格でね。で、なんでこんなにのんびりしているんだろう。こんなで商売できるの?って。

例えば、私一度、看板屋に頼んだのね。その看板屋、調子のいいこと言ってたんだけど。いつになっても来ないの。で、電話したの。そしたらもう忘れているんだよね。

何これ?こんな商売やっていたらダメだなって、別の看板やに頼んだの。もういいって。

で、看板はついた。ただ、看板つけたからって来ない。なぜかっていうと、もともと藤沢には古くからの鍼の先生がいてね。その人たちが、ほとんど患者さんをとっていたの。で、そこからおこぼれをもらうんじゃなくて、新しいお客を開拓しなくちゃいけないなって思ったからね。

商店はもう無理だとわかった。商店主たちはもう、そっちの古くからの診療所にいっていたわけ。だから、新しく若造が行っても相手にしてくれなかったの。じゃあ、何したらいいかな?ってね。

次はタクシー。タクシー乗り場でみんなにティッシュペーパーとか配って。よろしくお願いします、っていって

まだ開業したばかりで患者さんいないんですけど、何とかしたいと思っているんです。もう飯も食えないんで、よろしくお願いいたします、っていってね。泣きを入れて。

そしたら、中には気のいい人がいてさ。「じゃあ、俺、知ってる奴がいるから」とか「俺、腰痛いから行くよ」とかいってくれてさ。「じゃあ安くしときますから。僕始めたばかりですから」ってね。

実は、最初から単価は高かったんですよ。単価1万円。

周りは3千円。3千円の時代に、私は1万円でやっていたの。すごい強気でしょ?なんでその価格か、っていったら「俺の腕だったら1万円だろ」って思って。で、それを「安くしますよ」って。

それでも、周りから見れば高いんですよ。それこそ50%オフ。それでも高いんですよ。こっちは半値にしてるから、50%の赤字なんです。でも、相手はそう思ってくれない。で、なんか患者さん来ないな、、あ、これは患者さんを満足させていないんだな、ってね。

腕じゃなくて、何か違う面で満足してないんだな。なんだろう、、って、そんなことを毎日考えていて。

生活しなくちゃいけない。じゃあ私の技術を教えよう

それで、実はそのとき遠山塾を始めちゃったんです。最初は場所を借りるお金もないから、自分の診療所で。

始め、診療所は一軒家だったんです。ただ、そこを借りるのに条件があった。そこは場所がいいから、ビルを建てるときは無条件で出てくださいね、って。そのかわり、家賃はめちゃくちゃ安かったの。借りれる期間は、1年か2年か3年かわからないけど無条件で出ます。一切もめません。って借りたんです。家賃が安かったんで、今でもすごく感謝していますよ。そのひとがいたから、塾ができたんだからね。

つづきは、また次回ね。